2017年9月26日火曜日

旧小名木川駅周辺を散策

今は「アリオ北砂」となっている場所は、かつては越中島支線小名木川駅という
貨物専用駅でした。
今回は、そんな小名木川駅周辺を散策してみました。

まずは、工事臨時列車のみとはいえ、現役の貨物線である越中島支線をチェック。
小名木川にも近いこちらの「庚申架道橋」を見学致します。
庚申架道橋の下の道路は「庚申道」と呼ばれていた道路です。
こちらに江東区教育委員会の案内板がありますので引用致します。

庚申道跡 (大島一 - 一七 - 三八)

 明治通りから横十間川へ向かうこの道は、庚申道と呼ばれていました。
明治四十四年(一九一一)の東京逓信管理局作成の地図を見ると
「字庚申道」と記されています。
 この道の西側、大島一 - 一八に「釜屋堀庚申様地蔵尊」という
幟の建てられたお堂があります。このお堂は昭和六十二年(一九八七)頃まで
突き当たりにあり、「三つまたの庚申様」とも呼ばれていました。
昭和七年(一九三二)に刊行された『大島町誌』には、
「庚申堂」として旧大島村甲七十番地にあること、猿田彦大神を祀ること、
その由緒は未詳であることなどが記されています。
現在、堂内には青面金剛を浮き彫りにした庚申塔とお地蔵様が祀られ、
大切に守られています。
 かつては、道の中央に小川があり、子どもをたらいに入れて流すと
厄払いになるという言い伝えがありました。
また、沿道には八百屋・魚屋・駄菓子屋などが並びにぎわっていました。
「庚申道」の名は、この鉄道橋に今も残り、
新大橋通りが貫通する以前の大島の古い道と町並みの様子を偲ばせています。

平成六年(一九九四)三月  江東区教育委員会

(庚申架道橋 - レトロな雰囲気の橋です)

(庚申道跡の案内板)





































そんなわけで、こちらの通りを真直ぐに横十間川方向へ歩いていきますと、
「釜屋堀庚申塚・地蔵堂」がございます。
きれいなお花が活けてあるのが非常に印象的ですね。

(釜屋堀庚申塚・地蔵堂)



















さて、こちらからは横十間川へと歩いて行き、
大島橋の袂にある「釜屋堀公園」へ向かいます。
こちらは極普通の小さな公園に見えて、重要なモニュメントがあります。

(大島橋 - 奥には東京スカイツリーが見えます)



















まずはこちらの「釜屋跡」の石碑です。
こちらは、江戸時代の鋳物師, 釜屋六右衛門・釜屋七右衛門の鋳造所があった場所です。
そのお隣にあるのが、「化学肥料創業記念碑」となります。
当地は、明治初年、 渋沢栄一の支援を得て 高峰譲吉(1854年~1922年)が、
東京人造肥料会社(現在の日産化学工業)」を設立した場所でもあります。

(釜屋跡 - ちょっと目だない感じです)

(化学肥料創業記念碑)

(尊農と刻まれた石碑)






















































ちなみに、こちらの大島橋を渡って住吉方面へ向かいますと、
我らが「FC東京深川グランド」があります。

(FC東京深川グランド)



















こちらから小名木川方面へと向かうわけですが、
釜屋堀公園から見て、大島橋の対角線上には「釜屋堀子育地蔵堂」があります。
1651年(慶安4年) に作られたの石地蔵ということで、大事に祀られています。

(釜屋堀子育地蔵堂)

(お地蔵様)

(お堂のお隣にあります)






















































横十間川と小名木川が交差する場所にあるX字の橋が「小名木川クローバー橋」です。
1994年に完成したこちらの橋ですが、橋自体の景観もさることながら、
橋からみる景色もなかなかのものがあります。

(小名木川クローバー橋)



















こちらの住居表示街区案内図を見てください。
北砂二丁目には「国鉄小名木川駅」の表示がありますね。
国鉄がJRになったのが、1987年ですから30年前。
少なくともそれよりは古いということですね。

(住居表示街区案内図 - 年代物です)



















こちらから小名木川に沿って北砂緑道公園を歩きます。
そうしますと「釜屋の渡し跡」という案内版が目に入ります。
かつてはここに渡し船があったということですね。

(北砂緑道公園)

(釜屋の渡し跡の案内板)





































こちらのちょいと先にあるのが小名木川駅の記念碑。
「江東歳時記文学碑」と記されている石碑には、石田波郷による

小名木川駅春の上潮曇るなり

という句が刻まれています。



















石田波郷は砂町に住んでいた俳人です。
波郷関連の碑は、明治通り沿いの新開橋近くにもあります。

(石田波郷生誕百年記念碑)



















さて、こちらの明治通りを歩いていくと「アリオ北砂」があります。
交差点の表示は「小名木川駅前」となっていますね。
かつて駅があったことを示すためにあえて表記を変えていないのか、
予算の関係なのかはわかりませんが、このままの表記にしてほしいと思いますね。

(小名木川駅前のままです)
(アリオ北砂)






































アリオ北砂は大型のショッピングセンターですが、
小名木川駅がかなり大きい駅だったことがわかりますね。

これにて短い散策は終了。
小名木川沿いは遊歩道も整理されているので、
ちょっとした散歩には最適ですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿